#8綺麗なものを綺麗と言えない

例えば結婚式場の近くをあなたは一人で歩いているとします。そして、その式場では純白のドレスに身を包み、一生を共にするパートナーと腕を組み幸せいっぱいの笑顔で歩いている花嫁がいたとします。そんな花嫁を見てあなたはなんと思いますか。あなたが幸せを呪う様なひねくれた性格をしていない限りは「綺麗」と感じるでしょう。それは僕も同じです。というか「綺麗」以外の感想があるのか、とさえ思います。

では、その場をあなたと友達の2人で歩いていたとします。そこで友達が「あ、花嫁だ」と言います。するとあなたは何と答えるでしょうか。先の質問で「綺麗」と答えた人の大半はその場でも「綺麗」と答えるでしょう。しかし僕はその場では「白いなぁ」と答えてしまいます。意味がわかりません。自分でも全くわかりません。

 

では、何故僕はその場にいるのが1人か2人かという条件だけで答えが変わってしまうのでしょうか。恐らく僕は自分の答え方ひとつで、その答えを聞く相手の中の僕の印象が変わってしまうと考えているからです。そして、綺麗なものを見て「綺麗」と答えてしまう僕が薄っぺらい人間と思われたくないがために「綺麗」以外の答えを一瞬考えるのです。しかし、自分の語彙の中から「綺麗」以上の答えが見つからず、結局視覚的に感じた白をそのまま口で発してしまうのです。その場で起こっている会話だけを見ると、「あ、花嫁だ」「白いなぁ」ということになります。非常に気持ちの悪い会話です。とても心のある人間の会話だとは思えません。

 

ここでひとつ考えを進めてみます。何故僕は感じたことをそのまま口に出すと薄っぺらい人間と思われてしまうと考えているのでしょうか。それは偏に自己肯定感の低さによるものだと僕は思いました。自己肯定感が低いので、ありのままの自分では相手に認めてもらえない、素の自分を出せば相手に一歩引かれてしまうと考えてしまうのです。さらにタチの悪いことにその低さのせいで相対的に相手のことが素晴らしいよく出来すぎた人間に思えてくるのです。暗い。非常に暗い考えです。僕がそいつに「お前も頑張って生きているよ!」と言って励ましてやりたくなるほどに暗いです。

そして、その自己肯定感はさらに悪影響を及ぼします。それは、ありのままの僕では足りないので相手の中の僕を操作して、理想の「僕」に近づけてしまおうとするのです。つまり、僕の言動全てを架空の理想の「僕」がするであろう言動に寄せるのです。まああっさり言えば、超背伸びして自分をよく見せようとするのです。それもふくらはぎの筋が伸びきってしまうくらいの背伸びをします。これはある程度自己肯定感が高まってきた今だから言えるのですが、非常にしんどいです。楽しい時間なはずなのに窮屈です。一挙手一投足が試されている気がして一瞬も気が休まりません。リラックスとは真逆の状態です。

自分がそんな状態でぴりぴりしているのに相手と良い関係なんか気づけるわけがないんですよね。だって相手の発言、行動なんか二の次なんですもの。さらに、自分が自分の全ての発言全ての行動に対して思考して意味を持たせているので、相手の発言と行動にも意味を探してしまうのです。その存在しない意味を考えるのにも脳のキャパを使うので、もう解散した時にはカフェで30分くらいはぼっーとしてしまう始末です。大変情けない。

 

結局相手と良好な関係を築くには相手をよく見て、相手と「僕」ではなく僕が会話を交わす。そして相手を知り、「僕」ではなく僕を知ってもらう。これに尽きると思います。

こんなことハナから知っているという人の方が多いと思います。でも馬鹿で自己肯定感の低い僕はこんな風に実際に経験して、頭で考えて理解してからしか飲み込めないのです。

とりあえず今の僕は、次回花嫁を見た時友達に僕が「綺麗だね」と言えるといいなと思うばかりです。